タシュケント、ウズベキスタン

中央アジアの匂い

1994年5月24日〜28日



タシュケント街歩き
タシュケント国際空港に到着。
税関では外国通貨を漏らさず申告することとなった。荷物も念入りな検査である。ウズベキスタン人は係官に喰ってかかるひともいた。

ほうほうのていで外に出ると、直射日光の強烈な日差しに照らされ、たじろいでしまった。
空港を出ると中央アジアの匂いがした。羊の肉の匂いである。空港からホテルまではタクシーを使った。

通りを走る市内電車も自動車も無骨である。電車は重たそうに轟音を響かせて走る。自動車も排気ガスをまき散らしていた。


タシュケントのホテル

ホテルは「地球の歩き方」に掲載されている最高級ホテルにしてしまった。フロントで、部屋があるか尋ねてみると、あるのという。「ドル払いだ」
強く念をおされた。このホテルは後に、サッカーの加茂監督解任の舞台となるところである。

外にでて、簡易食堂でうどんを食べる。洋風うどんという感じで、うまくもなかった。


バザール
中央アジアに来たならばバザールに行かなければ! タクシーで行くと、そこはごちゃごちゃして、土煙でもうもうとしていた。

トマト、きゅうり、野菜、あんず、いちごなど、自分の畑で収穫したような量をバザールで売っていた。彼らは屈託がなく、笑顔が多くみられた。


タシュケントの街には朝鮮系の人々が多くみられた。土地の人たちのように白いブラウスでひだのあるスカートをはいている。緑の木々の間を軽やかに歩いていた。彼らはスターリンによって極東の沿海州から強制移住させられた人たちである。北朝鮮から亡命したひともいるのであろう。

バザールでもキムチを販売していた。ぶらぶらしていると、ロシア語で道を尋ねられた。


夕食はホテルで、ビール、サラダ、ピラフとした。サラダはトマトが甘く、きゅうり、キャベツが新鮮だった。支払いは米ドルしか通用しなかった。



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