サマルカンド、ウズベキスタン

1994年5月24日から28日、ウズベキスタン



バザールにて
タシュケントからサマルカンドまでの航空券を、サマルカンドで購入した。一日2便しかないのだ。翌日、空港から国内線に行ったのだが、ロシア文字が読めず右往左往してしまった。ようやくチェックインカウンターにたどりつく。外国人専用のカウンターがあるのを知らなかったのだ。

サマルカンドのナン(パン)は美味しいことで有名である。バザールには小さなパン屋さんが出ていた。バザールを出た道端でもナン屋さんが小さな車で売っていた。食べてみたが、堅く味がしなかった。ただ、非常に安い。



モスクにて

← ビビハニム・モスク




ホテル(サマルカンド・ホテル)は行き当たりばったりで見つけた。外国人が宿泊できるホテルは限られている。ホテルで昼食をとることにした。ビーフストラガノフ、キムチ、サラダ、お茶である。 ビーフストロガノフの油が悪く、腹が痛くなってしまった。


レギスタン広場まで歩く。息を飲むほど大きく美しい。ガイドブックによると、ここで処刑も行われたらしい。そして、ビビハニム・モスクへ。このモスクの色、ブルーを見るためにサマルカンドまでやってきた。中央アジアに行きたいと思ってから、20年もたってたってしまった。


しばし道端に腰をおろし、じっとサマルカンド・ブルーを堪能する。観光客もおらず、異邦人はたったひとりである。すると、モスクに引っ張り込まれ、監禁されてしまうような気持になってくる。


向かいのビビハニム廟にゆっくりと歩く。廟に知らず知らずのうちに手を合わせている。孤独感が身にしみる。襲いかかってくるようだ。だれかと話したいと思い、周りをみるが、それも果たすことができない。
↑ レギスタン広場



街歩き
モスク周辺を歩く。
細い道が入り組んでいる。公道だと思って歩いていくと行き止まりになっていたり、他人の家の庭先に出たりする。家庭の匂いが染み出てくるような気がして、慌てて背を向ける。

集会場のようなところに出る。
子どもたちがいつの間にか集まっている。ここは人間臭さがする路地だ。



歩き疲れた。
茶店に入る。客が餃子、パンをテーブルの上に置いていたので、同じものをくれと身振りで示す。それに、チャーというと、これは通じた。ここは市民の憩いの場なのだろうか。人々がのんびりと語り合っている。彼らが異邦人を見ている。そんな視線が気になって、早々に引き揚げる。餃子とパンを残したまま立ちあがると、脇にいた老人が、残りをくれと身振りでしめした。


←ホテルの窓から



夕食はホテルですませた。
ビール、鶏の肉、サラダ、スープである。5米ドル程度だった。


翌日、サマルカンド空港に行ったが、またうまくチェックインできなかった。外国人は別のチェックインカウンターがあるはずなのだが、みつからないのだ。

乗り遅れてしまう、とパニックになりそうだ。
旧共産圏の旅は、言葉ができないとなかなか難しい。システムが西側のそれとは異なっている。想像もつかないほど違うのだ。



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