眉氏、カラコルムハイウエーを行く A フンジェラーブ峠からスカルドウまで 1993年6月6日〜10日 |
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フンザを出発 |
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バターをつくっているのだろうか。 | ||||
自転車でフンジェラーブ峠を越えるという白人。すごいんだなあ。 | ||||
また、ジープで走る。 |
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ジープはただただ走る。次第に、人間が住んだ形跡がないような地域に入っていく。インダス川の流れに沿って、道路は中国との国境まで続いている。 ジープはゆっくりと走る。左右に揺れ、胃がひっくり返り、尻がシートに擦れて痛い。 「この山では日本人が登頂に成功した後、墜落したのだ」 パキスタン人が説明してくれる。真っ白な頂が雲の中に見え隠れしている。 「その日本人とは?」 「長谷川と、言ったかな?」 インダス川は細くなり、川原がある。そこに出入国手続きの事務所があった。脇に、間口1間程度の八百屋、洋服屋がある。あとは数軒の旅行代理店である。いかにも、だれも住んでいないような場所に。 ここから中国のカシュガル行きのミニバスが出ている。カシュガルまでは、まだ数百Kmも走らなければならない。ときどき、白人のバックパッカーを乗せたミニバスが走り去っていく。屋根には荷物が山になって積まれている。トヨタのハイエースである。日本の自動車会社が中国との合弁で製造した大型バスも走っていく。 やがて駐車場だ。日本の製造会社の名を冠したバスが10台も駐車していた。これらもカシュガル行きである。 |
長谷川 岸壁を蝶のように登ると言われた長谷川恒男さんのこと。最後はアルコール中毒気味だったと、人は言う。 カシュガル マルコポーロも訪れたという街。シルクロードで最大のバザールがある。ウイグル族の都市。 |
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ジープは何度も故障した。 |
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カラコルムハイウエイはいたるところにチャックポイントがある。そのたびにパスポートを提示しなければならなかった。 殺伐としたカラコルムハイウエーを自転車に乗った男性が通りかかった。荷台に小さな袋を乗せていた。周囲には、住居らしきものは見当たらなかった。 |
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荒涼とした景色になってきた。 |
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峠近く |
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フンジェラーブ峠に到着 パキスタン側 |
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とうとうフンジェラーブ峠である。国境といっても、高さ数mの石に中国領、裏側にパキスタン領と刻まれているだけである。イミグレーションなどはない。先程の手続きが、国境の事務所だったのか。 眉氏はその石に手をかけてよじ登ろうとしている。国境マニアの眉氏はとうとう辿りついたのである。 跳びはね、駆けまわる。一気に5000mの高所まできたのではないから、高山病とは無縁だとタカをくくっている。ヨーロッパのユングフラウやモンブランと違ってロープウエーなどで一気に到着したのではない。 車に揺られ、疲れ果てて辿りついた。だから大丈夫だと。次第に、眉氏の駆けまわる早さが落ちてくる。顔色が青白くなってきた。高山病の症状である。 まだ、人の気配のない中国領を見やって、カシュガルをしのんでいる。眉氏、なんとかは高い所に登りたがるという諺をすっかり忘れている。 |
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中国側 |
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眉氏、たったひとりのために、こんなに多くの人たちがついてきてくれる。ありがたいものだ。 | ||||
途中の湖で |
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スカルドウ |
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スカルドウは地の果てのような街。緑の少ない土地。雪を被った山々が目の前に覆いかぶさるようにある。人々は白や薄い色の布地をひらひらさせながら、サンダルの音を響かせていた。 | ||||
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