バンコク

非常事態宣言の日

1992年5月




1992年のバンコク、ラチャダムリ通り
1973年に大量の死者をだした暴動に匹敵する反政府の集会があるだろうと英字紙、「ネイション」は数日来報道している。バンコクには「バンコク・ポスト」と「ネイション」、2英字紙が発行されている。ちなみに、10バーツ(55円)である。

1973年とは当時の軍事独裁政権を打倒しようとした学生革命だ。しかし、軍は学生数十人を殺害し、軍事政権を樹立している。


1992年のバンコク、ドンムアンに向う
1992年5月、テレビ画面に映しだされているのは、警察署が焼かれていたり、自動車が黒煙をあげている光景だ。テレビの5チャンネルだけが、バンコク市内の暴動を延々と放送し続けている。

「現場に行ってみようかな」
「行っちゃ、だめだよ」
いつも無表情のホテルのガードマンが血相を変えて言う。
「行かないで」
映画、「猿の惑星」に出演したらメーキャップなしで済ませられそうな女性も大げさな身振りだ。

午後6時。
国会議事堂のはるか手前で、道路は遮断されている。運河にかかる橋にはバリケード。その前で市民が10人も集まって、封鎖された先を覗き込んでいる。橋のたもとでは少年兵が眠りこけている。緑色の銃を抱えたままだ。少し涼しくなった。気温は36度。こんなところにも屋台が現れている。人の集まるところ、屋台ありである。氷で果物を冷やしているのが素晴らしい。

歩いていく。
少年兵が屋台にいる。ソムタンを買っている。東北タイ(イサーン)のサラダで青いパパイヤ、ナンプラー、唐辛子、ライム、砂糖、味の素を入れて棒で突っつき仕上げる。兵士は10バーツを渡す。量が多いな。わたしが買うときの倍の量があるじゃないか。迷彩服の兵士は木の下に行き、車座になって休む。銃はあさっての方角に、10丁ばかり投げ捨ててあるじゃないか。ひとつでもいいから欲しいと思う。

1丁、持っていっても分からないのじゃないか。だが、じっと銃を抱えて見張りをしている兵士もいる。兵士がわたしに銃口をむけたら……。急に恐ろしくなる。

運河沿いを足早に歩く。まだ、太陽がかっと照らしている。汗はでない。不思議な雰囲気で、発汗が止まってしまったのか。人の動きも途絶えている。

運河の向うの官庁街も静かだ。ハイビスカスがひときわ赤い。一人であるくと、怖くなってくる。何でこんなところを歩いているのだろう。火炎樹のオレンジがかった花が風に揺れている。息苦しくなってきた。

橋に出る。
またバリケードだ。木製のバリケードを乗り越えて封鎖地域にもぐりこんだつもりだったのに、どうしたのだろう。巨大な迷路だ。

午後7時。
暴動の中心地らしきところに到着した。そこには群集がいたのだ。ほっとする。屋台が出ている。水、アイスクリーム、パンを売っている。そこでカオニオ(おこわ飯)、ナッツ入りチョコレートアイスクリームを求める。人がいるので、力も湧いてきた。

ミネラルウオーターのペットボトルが道路を横断して並べられている。これで道路を封鎖しているつもりなのだ。バイクの若者はそこから中に入らない。そばには焼きただれた消防車、英語でデモクラシーという文字が書かれている。となりには、やはり焼かれたピックアップ。


1992年のバンコク、スクンビット方面

1992年のバンコク、スクンビット通りの歩道橋

消防車の上にリーダーらしき人々が10名も乗っている。ハンドマイクで叫ぶ男はバンダナがお洒落だ。ザンバラ髪。群集の中にひとり中年男性がいる。携帯電話でこれ見よがしに話をしている。
国旗を振りまわしている若者に群集から拍手が送られる。カンパの100バーツ紙幣が手から手へ集められていく。ミネラルウオーターを積んだ小型車が到着する。支援者からのカンパなのだろう。群集は黙って静かにじっと見ている。深く息を吸い、吐くだけである。

午後8時になって、旧市街にまで歩いた。
古い家、低い軒下。中国語の看板ばかりだ。家々はシャッターを閉じている。半裸のおじいさん、おばあさんも路地からでてきた。オートバイの集団が白煙をあげて逃げてくる。そのうしろを人々が逃げながらやってくる。行けども行けども群集と焼けた車、そしてアジル若者がいる。

ガスの臭いが漂っている。人々が消防車を押している。信号機によじ登り、棒でライトを叩き割っている若者の顔が引きつっている。銃声が聞こえてくる。パンパン。軽い、乾いた音だ。すると、体が動かなくなってしまった。こんなところで死にたくない。来なければよかった。ホテルにいれば放水を浴びて、催涙ガスを浴び、逃げ惑うこともなかった。前を走る男に続いて、戸が開いている民家に駆け込む。奥に走り、物影に隠れる。

そろそろと顔をあげる。知らぬ間に、頭にレンガを2個乗せている。立とうとするが、立てない。今度は吐き気がやってきた。


追記:
後日、空港に向う途中、軍用トラックの荷台にに若者が上半身裸で乗せられているのを見た。近くの刑務所は2000人収容だが、4000人が入っているとのこと。その刑務所に寄ってみたが、両親が、「行方不明になっている息子がいるか」と確認に来て、ごった返していた。もちろん、近くに屋台は出ている。





★「夢見る楽園」(目次)★
inserted by FC2 system