バンコク

怒涛の横断 

1991年7月



向かい側のホテルに行くために、交差点を渡ろうとしているのだが、渡れない。もう10分も道端に立っている。信号機はずっと赤のままだ。

人並みは溢れ、路上の露店を包み込む。もう、交差点の端から溢れている。周囲のタイ人はじっと待っている。わたしも、騒ぐのは大人気ないと我慢している。自動車が渋滞を始める。人々は車道ににじり寄り、じわりじわりと進み始める。

「ひえっ、渡っていいのかな。お巡りさんがいるのに」
実は、警官は人命には無頓着である。車がスムーズに運行できればいい。ひとが跳ねられようが問題ではない。

「なるほど、赤信号、みんなで渡れば怖くない、か」
ぶつぶつ言いながら、群集の中に突進する。視線を抜け目なく動かし、交差点移動集団の中心に入る。そうすれば、車が突入しても、人間の盾があるので自分は軽症ですむだろう。

反対側に渡ると、恐怖の横断を忘れ、けっこう冷静に分析する。横断しているときに、タイ人は走らないのだな。




ここはスクンビット通り
1980年ころから急激に発展した。それまではスラムと湿地帯だった。ここらあたりは、インド人が土地を所有している。

バンコクの渋滞


「サワディ・クラップ」
わたしはすぐにだれにでも声をかける。
「食事かい?」
カバン屋の売り子である。彼女の母親は中国人、父親はタイ人だと言っていた。脇で、娘さんが3人肘をついてわたしをみている。けっこう、ぼーっとした目だ。わたしだって威張れたものではない。彼女たち以上に空ろだ。
「食事? これからよ」
彼女は25歳だと言う。黒髪を肩まで垂らした娘は、ウンチングスタイルでわたしを見上げている。バスが黒煙を吐き出し、去っていく。

「この娘、彼女にしなよ」
おかっぱの少女を指差す。15歳だとのこと。
「どこから来たの?」
「北部」
「遠いところだね」
「いくらくれる?」
もうわたしの彼女になったつもりだ。
「2000バーツでいいよ」

「これいくら?」
頭上から図太い声がした。英語である。ランニング・シャツに半ズボン、タイの女性の手を握っている白人だ。急に不愉快になる。どうして、わたしに値段を聞くのだ?
「1000バーツだよ」
適当に言う。このあたりの店で、値札がついている品物などありはしない。

トクトク

歩道橋には物貰いがいます。


「高いな、向こうの店だと、同じものが……」
「クオリティが違うんだよう。クオリティが」
叫ぶように言う。白人は行ってしまう。
「さて、食事にするか」
いつものとおり、これからソイに入り、歓楽街の脇を抜け、屋台で楽しむのである。

食事の決め方はとても簡単だ。麺類かご飯か、調理人が男性か女性化か、にこにこしているかいないか、女性の客が多いか少ないか。ただそれだけである。

屋台である。
「おいしい?」
もう話しかけている。決断が早い。躊躇しない。客がいる。すっかり顔を整えた女性は20歳前だろう。上目つかいにわたしをみると微笑む。
「これから?」
すっかり知り合いのような口をきいている。彼女、はにかむ。彼女たちは夜に活躍する姫君なのだ。客との交渉に臨めば、かなり強硬な主張をするのだろう。だが、食事をしているときは愛くるしい。

汁そばができた。一口かぶりつく。
「おいしい?」
姫君が食べているそばはどうなのか?
「食べてみて」
彼女はどんぶりを差し出す。
「ありがとう」
幸せだ。目じりを下げ、鼻を膨らませる。




ソイ
通りから入る細い路地。王宮から番号が振ってある。


歩道は歩きづらい。




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