タイ、バンコク
客引き、ソベックの憂鬱

1993年2月



プレジデント・ホテルを出ると、いつも門の外で客待ちをしている白タクの運転手がソベックである。笑顔で挨拶を欠かさない。

その日の朝、タクシーを拾おうと、スクンビット路に出る。タクシーを探していると、すうっと車が停車した。
「乗っていきなよ」
悪いな。ソベックのお世話になる。時々、バンコクを訪れると、彼はいつもホテルの門の外で客を待っている。陽に焼けた顔をみると懐かしさとうっとうしさが半分半分になる。

夕方、飲みに出かけようとホテルを出た。
「今晩は」
にこにこされると、彼の車に乗ってしまう。ランシットを通り抜け、パトン・タニに向う。ここは深夜になるとネグリジェの下には何もつけない女性がビールを注いでくれる。チップ次第でネグリジェを脱ぎ裸で踊りだす。出し物はシュティザンと似ているが、パトン・タニは陽に焼けたお嬢さんが多い。裏は田んぼ。前は国道。満天下の星を見ながら、ついでに蚊に刺されながら、明け方まで人生を謳歌する。
「ソベックも飲めよ」
酒をすすめる。
「寂しげじゃない。ガールフレンドのことを考えているのか?」
「結婚するんだ」
急に、笑顔になる。ふーん、と相槌を打ちながら、少しばかり不安になる。この前にバンコクを訪れたときも、結婚話をしていた。もう3回目だ。最初のお相手は、ランシットに住む子持ち女性だった。その女性とカオヤイ国立公園まで行ったことがある。いや、ソベックにカオヤイ国立公園に連れてくれと言ったら、助手席にその女性が乗ってやってきたのだ。

まだ20歳。けっこうな美人だった。いつの間にか彼女との関係が途切れたら、ホテルのメイドと結婚すると聞いたことがある。バンコクでは制服のまま自宅と職場を往復する。ソベックは、ほら、あの女性ですよ、と教えてくれたことがあった。今度、バンコクに来るときに、東京でペンダントを買ってきてくれと依頼されもした。

トランプ博打で、ガールフレンドが警察に留置されたと言う。彼女を救出するので5000バーツを貸してくれと頼まれたこともあった。怪しい話だ。2人の関係はしらっとしていて、ソベックの方が熱をあげている。
「博打で警察に捕まるような女性はやめにした方がいい」
助言しても、頭に血が上っているソベックは険しい表情をしている。いつものにこにこした顔は消えうせたままだ。その女性には別にボーイフレンドがいるのを知って、ソベックは身をひくことになった。


ソベックの表情がまた険しくなった。
「ワイフの仕事が見つからない。どっかに職がないかな」
彼は新しいガールフレンドをワイフと敢えて呼んでいる。そう呼びたい気持ちは分かるが……。
「年齢は?」
首を捻って、20歳と答える。実際にあってみる。髪を中央から分け、ふっくらとした顔つきである。タニアにだして磨けば、日本人に人気となるだろう。年齢は18歳だそうだ。出身地もソベックの説明とは異なる。彼女はソベックがつきまとうので、しかたなく相手をしているのだと言う。
「今夜、彼女をホテルに泊まらせようか」
こんな台詞をソベックから聞いたときには絶句したものだ。彼女を追い回しているのは彼なのだ。それなのに……。ホテルの涼しい部屋でビールを飲みながら、映りのよいテレビを見られるからか。トイレだって、水浸しではない。爪立ちしなくてもいいのだ。そのうえ、彼女はお小遣いをもらえるだろう。
「どうだい?」
この日のソベックは執拗だ。彼女はレストランでの仕事をみつけた。周囲の男性に誘われるので焦っているのか。知り合った男性と泊りがけで遊びに行ってしまうこともあるらしい。彼女の行方が分からなくなると、彼はそわそわして、イライラする。
「ナイハン(旦那)が付き合ってくれるんなら、安心なんだ」
「……」
「オレの家は近くだからさ、いつでも彼女に会えるからね」
それはそうだが、理解しがたい倫理と論理だ。
「彼女が心配なんだ」
「……」
「彼女、泊まっていいだろう?」





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