エベレストでコーヒーを!

シャンボジェ A エベレストの麓まで

1992年4月



出発
カトマンズ空港、国内線の待合室には我々とインド人、白人夫妻だけが残された。赤いタウン・ジャケットに野球帽のおじさんが現れる。一行はぞろぞろと滑走路の端を歩き、小さな飛行機の脇に連れていかれた。

とにかく飛ぶらしい。わたしは操縦席の後ろに、インド人が特等席、操縦席の隣だ。プロペラが回り始める。エンジンの音でクボさんの囁きが聞こえない。一安心である。

有視界飛行だ。谷の間をひらりひらりと飛んでいく。急に下降する。クボさん、大きな声でひえーっと声を出す。囁け! 

「エベレストはまだ?」
パイロットの背中を突っつく。まだまだだそうだ。左手は白い山だらけである。その山の間に入ってしまう。エベレストって、こんな奥? 第一、平地がないのに着陸できるのだろうか。



シャンボジェ着陸
ここまできて着陸できないなんて、それはないぜ。着陸してくれ。普段は何も信じないが、両手を合わせるのだ。

眼下に、ナムチェバザールが見えた。




ヒマラヤの白い山々が神々しい。
「あまり歩き回らない方がいいですよ。高山病になります」
ホテル・エベレストビューから下りてきた日本人女性マネジャーに声をかけられる。クボさんは写真を撮ったり、体力を誇示して3700メートルの高地で飛び跳ねている。

わたしはそろそろと小さな小屋まで歩く。胸が押しつぶされそうだ。スペインから来たという夫妻、それにクボさん、わたしがホテルに宿泊だ。インド人はトレッキングに行ってしまった。




マネジャー
日本人女性がネパール人を使ってホテルを運営している。彼女は高山を飛ぶように歩いてゆく。「僻地に住む日本人」という正月特別番組で、テレビに出ていた。大平サブロー、シローの漫才がわざわざシャンボジェまで漫才の出前にくるという内容だった。

シャンボジェに着陸した。



カトマンズに戻る飛行機を見送る。
高地順応のため、1時間休む。
飛行機はカトマンズに戻る人を乗せて、戻っていく。短い滑走路は土を固めているだけ。その先は崖である。

さあ、出発だ。クボさんはずんずん歩いていく。わたしは最後からよたよたしながら歩く。

見かねて、テンジンさんがわたしの紙袋を持ってくれる。いいのかな。だってテンジンさんは有名な冒険家、植村さんの友人なんだから。



ホテル・エベレストビューまで歩く
慎め! そう、考えるのだが、一歩あるくたびに、どうでもいいかと思う。思考力がなくなってくるのだ。テンジンさんが、ゆっくりね、と優しい声をかけてくれる。

クボさんは女性マネジャーに囁き始めた。
ヒマラヤスギもなくなった。草が地面にへばりついている。わたしは最後尾だ。ついていかなくちゃ。細い道で迷子になったらどうしよう。「赤い靴を履いていた女の子」と童謡をハミングする。
「わたしは言葉が分からない……」

「ほら、あれがエベレストだよ」
テンジンさんの掠れた声がする。
「とうとう来たか」
へなへなとなる。
「歩こう」
テンジンさんが言う。あと30分でホテルに着くよ。
「えっ、まだ、30分も登るの」


テンジンさん
植村直己さんと1965年ゴジュン・バカンに登頂。1970年に植村さんが日本人としてはじめてエベレスト登頂を果たす前に、テンジンさんの家でトレーニングした。

植村さんは4000メートルから5000メートルの高地を走り回っていたのだ。




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