マレー鉄道

バンコクからバターワース

1992年4月



ホアランポーン駅
バンコク発バターワース(マレーシア)行きの国際列車は、午後3時15分にバンコクのホアランポーン駅を出る。ジーゼル機関車に牽引される車両は前部の6両がハジャイ行き、後ろの6両が終着駅のバターワース駅まで行く。

タイ正月が始まる日である。
よれよれの帽子にサングラス、生意気にもひげをはやし、デパートの紙袋をふたつに折り身の回り品をいれ、気取ってスキップをしながら現れた。

自慢はNIKEのシューズである。偽ものだが意気揚々と歩いている。ついでに、上々台風の一節を口づさんでいる。
「張子の虎、ほーい、ほい」


1等のエアコン付き車両を見向きもせず、2等の扇風機付き寝台も無視し、3等のビニール座席にちょこんと腰を下ろす。これからマレーシアのバターワースまで21時間の列車の旅である。

バターワースでマレー国鉄に乗り換え、そこからシンガポールまではさらに17時間を加えなければならない。合計1924Kmを38時間かけて走破する。

バンコクのホアランポーン駅は汚いのだ。それに臭いが独特だ。東南アジアの臭いである。
さて、2席を占領し、短かい体を精いっぱい伸ばし、、絶対ゆずってやるものか、と濃い眉毛をひくひくさせて周囲を威嚇する。

向こう側にはフランス人が薄汚れた格好で横になっている。かばんの代わりに、竹の籠がなんだか侘しい。近くでは、アメリカ人のカップルがくっついている。寺院の絵にローマ字でタイとかかれたTシャツが汗で汚れている。この車両だけ、貧乏が満ちているようだ。



タイとマレーシアとの国境にて
翌朝、午前9時なのか10時なのか、もうろうとした頭で、国境駅、パタン・バザールに到着した。出・入国手続きを終え、席に戻ってみると、乗車してきたマレーシア人に占領されている。

泣く子と東南アジア人には勝てないことを知っているわたしは黙って空いている席に移るのである。ルールよりも強引な人、声の大きい人のほうが勝つのが東南アジアである。

列車は走り出したのだが、逆方向だ。もしかしたら、逆方向に走るというのは合理的かもしれないと、ぼーっとした頭で考える。だって、窓はすべて開放されている。トイレの水を真正面から受けなくてすむ。やはり、マレーシアでは逆方向に腰を下ろすのが賢い人なのだ。

納得すると睡魔が襲ってきた。昨夜は、眠っているうちにカネを盗まれるかも知れないと、よく眠れなかったのだ。

誰かが頭を叩いている。検札かな?
振り返ると、薄い座席の反対側にはマレーシア女性が3人もいるのである。ひとりが立っている。その女性が列車の振動にあわせ、わたしを無意識に叩いているのだ。
「もっと、叩いて」
うっとりしながら言う。
頭に水色のスカーフ、花模様の柄の服を着ている。モスレムの娘さんである。彼女ははっと気がつくと、全身を硬直させ、頭叩きを止めたのだった。だが、数分たつと忘れてしまうらしく、頭叩きを再開する。終着のバターワースに到着したときには、こぶだらけになってしまった。

到着時間はほぼ正確。1時間遅れだった。




ペナン
翌日は、ペナンの中国寺、バティック工場を見学した。だが、マレー鉄道の旅はシンガポールまで、まだ半分である。


中国寺




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